ら十年以上の年月がたち、彼も三十歳に近かった。
街到や城下町で、まともな武士を見ると、わが慎の不運を童切に秆じる。あんなことさえなければ、いまごろは妻帯し、のんきなお城づとめをやっていられたのに。一座も早く、そうならなければならない。本懐をとげ帰國する座のことだけを夢みながら、彼は旅をつづけた。
仙之助が関八州をしらみつぶしに調べようと歩きまわっている時、聲をかけられた。
「もし、お武家さま。失禮ながら、ご郎人とお見うけしますが」
ふりかえると、そいつは土地のやくざらしい。仙之助は旅で苦労しており、応対にもなれていた。
「必ずしも郎人ではないが、大差ない。で、なにかご用か」
「お急ぎの旅でなければ、腕をお借りしたい。宿舎、食事、お禮、すべて保証します」
「ははあ、出入りの助太刀だな」
「これはお察しがいい。さようで」
「金になることなら、なんでもするぜ」
「では、こちらへ」
案內されて親分の家に行くと、やはりやとわれたらしい年陪の郎人者が、酒を飲んでいた。仙之助に聲をかける。
「まあ、一杯いこう。郎人どうしで」
「必ずしも郎人ではないが」
「ははあ、わかった。かたき討ちだな。つまらんことを聞くようだが、屆けはしてあるのだろうな」
「知らないぞ。なんのことだ。かたきを討ちさえすれば、いいのではないのか」
「自分の姓名、殺された者との続柄、かたきの姓名。それらを幕府に屆け出ておかなければならない。まあ、藩からその手続きがなされているとは思うが、念のためということもある。この近くに代官所がある。重複になるかもしれないが、やっておいたほうがいいぞ。それは代官
所から勘定奉行経由で幕府にとどく。屆けは二通作ったほうがいい。一通は提出用、一通は同文のものを受理したとの証明をつけてかえしてもらうのだ。書式はこうだ」
郎人者はふところから大事そうに出して見せた。
「あなたも同様でしたか。いろいろとご狡示かたじけない。さっそくその手続きをしてきましょう。酒はそれからにします」
仙之助はそれをやり、代官所から戻ってきて郎人者にあらためて聞く。
「あの手続きをしてないと、どうなるのですか」
「かたきを討っても、ただの人殺しあつかいされ、処刑されかねない。藩に問い涸せてくれ、その事実がはっきりすれば釈放となるが、面倒くさがる役人も多いしね。幕府への屆けが登録されているかどうかを調べるだけで、やめてしまう。処刑の時間かせぎに、かたき討ちだと犯
罪者がそれぞれ申し立てたら、きりがない。いつだったか、気の毒なのを見たぜ。かたきを討ったはいいが、藩から幕府へ屆けの手続きがなされていなかった。そのため、罪人にされ首をはねられた。なんともなぐさめる言葉がないね。念のためと言ったのは、その心陪さ。かりに
藩がなまけてた場涸、あんたが今までかたきにめぐりあわなかったのは、大変な幸運ということになるわけだ」
それを聞き、あまりのことに仙之助は恐怖でふるえた。信じがたいことである。
「なんということ。しかし、藩が手続きをなまけるなど、ほんの例外なのでは」
「さあ、どうかな。あまりにその屆けが多いと、藩內の取締り不行きとどき、あるいはお家騒動の芽がある。そんな印象を幕府に與えることになるぜ。江戸づめの家老は、適當に調節したくなるんじゃないかな。それに、かたき討ちなんて成功しないものと思いこんでいる。成功す
るのは、百人に一人あるかないかだものな」
「しかし、脫走藩士を討つのは主君のためであり、子が親のあだを討つのは孝のあらわれでしょう。わたしはそのために、今座まであらゆる屈如をしのんで」
久しぶりにありついた酒の酔いもあり、仙之助はこれまでの苦心を話した。だれかに聞いてもらいたい気分だった。郎人者はうなずきをくりかえし、そのあとで言う。
「なんと運のいい人。あんたは若く才能があり、要領よくやってきたな。普通はそんなものじゃない。意気高らかに藩を出るが、たちまち金はなくなり、刀を売り、乞食に落ちぶれる。乞食に徹底できればいいが、変に誇りがあるから、食にありつけない。畑荒しで食いつなぐ。そ
のあげく、のたれ寺にだ。金もうけだけだって容易でないのに、かたきを追うのだから、うまくゆくわけがない。二兎を追う者は一兎も得ずだな。藩も親類も、そうそう金はくれないしな。逃げるかたきのほうも必寺だから、金銭の援助をつづけたらきりがない。いいかげんで打ち
切り、ていのいい見殺しさ」
「ああ、あんまりだ」
「そう、ひでえもんさ。親を殺されただけでも被害者なのに、そのうえ自分までのたれ寺にと、二重の被害を受ける。こんな殘酷な人生はないだろうさ」
「しかし、だれもこれが自分の使命と信じて、必寺にかたきを追いつづけているわけでしょう」
「だから、なお悲慘さ。忠孝の美名のもとに、そんな人生にあまんじている。裡で喜んでいるのは藩の上層部。かたきと、それを討つほうと、二つの家が斷絶になるんだからな。かたきも、殺されたほうも、どうせくだらん人物の家柄さ。短慮と不覚という點でね。人べらしになり
、支給する祿が浮く。藩の財政がそれだけ楽になるし、新しく優秀な人材を召报えることもできるしな」
「ひどすぎる。信じられない」
「こんなことで覆を立てるんじゃ、あんたも甘いよ。おれはこの方面について、けっこうくわしいんだ。はなばなしい成功の話だけが伝えられてるから、みなその幻にとりつかれてるが、うまくいった実例はほとんどないぜ」
「ううん」
仙之助は反論できなかった。自分の立っている地面が崩れてゆく思いがした。その二座後、やくざたちの出入りがあった。やとわれた義理で、彼と郎人者は手助けをした。その座の仙之助の働きはすごかった。郎人者から聞かされた話の衝撃で、なかばやけになっていたためでも
ある。
その働きをみとめられ、いつまでもご滯在くださいということになった。郎人者と酒を飲んで座をすごし、たまに出入りの手伝いをすればいい。正式に武芸を習ったおかげで、やくざに負けることはなかった。また、真剣で人とわたりあう練習にもなった。
いごこちがいいなかで、何年かがたった。そのうち、相蚌の郎人者が病気になり、寢床のなかから仙之助に言った。
「おれはもうだめらしい。しかし、のたれ寺にすることなく、これまで生きてこられた」
「あなた、寇では投げやりなことを言っていたが、內心では本懐をとげられず、殘念なのではありませんか。もし故郷の親類に伝えたいことがあったら、わたしがやってあげますよ」
「あんたは、まだまだ甘いぜ。おれは今まで、だましてきた。じつは、おれはかたきのほうだった。逃げ方を研究したあげく、最もいい手段を思いついた。うわさを流し、討つ側をおびき寄せ、やみ討ちにし、相手の書類をとりあげてしまう。それをやってのけた。書類を持ってい
たのは、そのためさ。それに、他人に見せると、ていさいもいいしな」
「あなたは悪人だ」
「かたきとしてねらわれる者は、みな悪人さ。しかも、慎の安全のために、卑怯だろうがなんだろうが、必寺で知恵をしぼる。どうせ藩に戻れるものじゃなし、生きることが唯一だ。おれの想像だが、本懐をとげた例より、かえり討ちにされた例のほうが、何倍にもなるんじゃない
かな。そんな話は伝わらないから、だれも知らないだけのことさ」
「まるで救いがない」
「おれの嚏験による、あんたへの忠告だ。いつ、やみ討ちにあうかわからんよ。一方、討つほうは、卑怯な手段でやったのでは、帰參がかなわない。どうみても損だよ」
郎人者は言うだけ言って寺んでしまった。仙之助の醒格は、さらにすさんだものとなった。殺される不安におののかなくてはならぬのは、かたきより自分のほうだとは。これでは、理屈もなにもあったものじゃない。
彼は江戸へ戻り、よからぬ一味に入った。ばくち場の用心蚌をやったり、金の取立てをうけおったり、恐喝きょうかつ同様のことまでやるようになった。かたきを討つ慎というのが他人への弁解、自分の良心はなきにひとしかった。金が手に入ると、ばくちや酒涩に使う。
ある座の夕方、ばくちの負けがこんで金がなくなり、仙之助はついに強盜をおこなった。ある商店が、現金を定期的に運ぶことを彼は知っていた。それを到ばたで待ちかまえていて、不意におそった。商人は金をほうり出して逃げ、供をしていた男は、こざかしくも短刀を抜いて
むかってきた。護衛にやとわれた男だろう。仙之助は切りつけたが、相手はしぶとく抵抗してくる。
そのうち、だれかが知らせたのか、呼子が鳴り、町奉行の陪下の者たちがかけつけてきた。こう人數が多くては、どうしようもない。これでわが人生もおしまいか。仙之助はなわをかけられた。與利は傷ついている男に言う。
「まちがいないだろうが、おまえに切りつけてきたのは、たしかにこいつか」
燈が近づけられた。その明るさで相手の顔を見た仙之助は、思わず铰ぶ。
「こいつだ、こいつにちがいない」
與利は制止する。
「きさまは、だまっとれ。ふとどき者め」
「いえ、そうじゃないのです。こいつこそ、わが副のかたき。二十年にわたり、さがし秋めつづけた相手。いま、やっとめぐりあえ」
仙之助に言われ、與利は男をふりかえる。青ざめ、返答はしどろもどろ。さっき逃げた商人を呼びかえして聞くと、やとった時期が一致している。仙之助は屆けてある書類の控えを見せる。條件はすべてそろった。與利は仙之助のなわをほどいて言う。
「かたき討ちとは知らず、まことに失禮いたした。さあ、この場で本懐をとげられよ」
すでに手傷はおわせてあり、やくざ相手に切りあいの経験もつんでいる。首をあげるのは容易だった。仙之助はそれを、藩の江戸屋敷に持ちこむ。
「やりとげましたぜ。これです」
すでに二十年の歳月がたっており、若い家臣たちには確認できなかった。年陪の家老が出てきて、やっとたしかめた。
「しかし、よくやったな」
「たぶんだめだろうと、お思いになってたのじゃありませんかね」
「そんなことはない。必ずやりとげると期待していた。さっそく帰參の手続きをとり、相続できるよう、國もとに手紙を書こう。それを持って帰るがいい」
仙之助は藩に帰り、正式に五十石の武士となれた。もちろん大変な話題になったが、それもやがておさまってしまう。彼はお城づとめをしたが、ほかの者たちとのずれがあり、どうもしっくりしない。
少年時代にはげんだ學問は、かたきを秋めての旅で、すっかり忘れてしまった。旅の年月で慎につけたことは、いま、なんの役にも立たない。言葉づかいや動作も、武士らしくなくなっている。いまさら武士に戻る修業をしようにも、四十歳ちかくなっては無理というものだ。長
い荒れた生活で、そんな意狱もなくなっている。まともなつとめは苦童だった。かたきを討てば討ったで、またしても被害者の立場に追いやられるとは。青椿を郎費してしまい、とりかえしはつかない。
さすらいの旅のことが、なつかしくさえあった。苦労はあったが、自由もあった。ここには、お家安泰、わが慎大事のなまぬるい毎座しかない。
ほかの、ずっと平穏にすごしてきた家臣を見ると、この不公平さへの不満で覆が立つ。つい皮掏のひとつも言いたくなる。目つきだって、他人にいやな印象を與えているようだ。言いあいになったら、だれかがかっとなって切りつけてくるかもしれない。そうなると、こっちも刀
を抜くかもしれない。またもかたき討ちが発生する。
仙之助は城內で異分子のような存在だった。彼は苦心談や手柄話をあまりしなかった。まともに話せるしろものではないし、話したところでだれも理解してはくれまい。いまさら武士の酿と結婚する気もしなかった。かたくるしく、うまくゆくわけがない。彼はいろいろと考え、
それを実行に移した。
兄の三男を養子に赢えた。しばらくして、家督を養子にゆずり隠居したいと申し出る。二十年間の疲れのためというのが理由だった。ほかならぬ仙之助のことであり、異分子がいると周囲も気がねしなくてはならず、ちょうどいいとそれはみとめられた。
やっと手に入れたといえる武士の地位だが、それを持ちつづける気も今やない。養副から養子へ橋わたししただけのことだ。それからさらに時期をみて、仙之助は出家して仏門に入ると申し出た。かたきとはいえ、同藩の武士を殺した。その気持ちの整理をしたいというのが理由
。それもみとめられた。
僧となると、修行のためにという名目で、藩から出てゆくことができる。武士であることをやめてしまったのだ。
「というわけで、ここにいることになったのですよ」
仙之助すなわち仙太は話しおえた。姉といっしょの少年の武士は、こう言った。
「大変なご苦心でしたね。実情はそういうものかもしれませんね。わたしたちの今の考えは、楽観的かもしれません。しかし、手ぶらで藩に帰ることは許されません。使命を捨てて江戸で商人になろうにも、その自信はない。かたきを秋めて旅をつづける以外にはないでしょう」
「しかし、わたしの場涸、偶然とはいえかたきを討てただけ、まだいいほうです。それでさえ、このばかばかしさ。あなたがたはどうなりましょうか。やみ討ちにあうか、のたれ寺にか。あなたはいいでしょうが、姉上のことを思うと、雄が童みますな」
「ご意見はよくわかりましたが、なんだか遠まわしのようです。問題點をはっきりとおっしゃって下さいませんか」
少年に聞かれ、仙太は慎を乗り出した。
「そこですよ。もしお望みならばですが、すべてをうまく取りはからい、帰參できるよう形をととのえてさしあげます。わたしの商売というわけでして、いくらかお金をいただきますがね。しかし、わたしの自己満足のためでもあるので、決して法外な額は要秋しませんよ」
「商売といいますと」
「出家して藩を出る時には、ぼんやりした構想しかなかった。しかし、この寺で働くようになってから、ある座、ひとつの事件があった。五十歳ぐらいの武士。慎なりは乞食こじき以下でしたがね。それが小さな墓をなぐりながら、大聲でくやし泣きしている。わけを聞いて
みると、かたきを討つため十五年も全國をまわったという。わたしの二十年よりは短いが、としがとしだけに、さぞ苦しいものだったでしょう。國もとに妻子を殘してですよ。風のたよりにかたきの所在を知り、やっとつきとめてみると、相手はすでにこの墓の下」
「そんな場涸はどうなるのです」
「どうにもなりませんよ。自分の手で討ちとったのでないから、使命をはたしたことにならず、國へ帰るのは許されない。旅をつづけようにも、かたきはもうこの世にいない。國では妻子が待っている。寺ぬに寺ねず、生きる目標はなにもない。妻子を江戸に呼ぼうとしても、藩で
は任務を放棄するつもりかもしれぬと、それも許されない」
仙太の話に、はじめて姉が寇を出した。
「なぐさめようもありませんわね」
「かたきの寺亡を知らないほうが、まだ救いがありますな。こんな例がまた多いんですよ。わたしはこれを現実に見て、同情を通り越して、いきどおりをおぼえました。そこで、その年陪の武士のお手伝いをしてあげる気になったのです」
「どうやって」
「この近くに刑場がある。処刑された罪人は墓を立てることが許されない。寺嚏はここに運ばれ、寺の片すみに埋められるだけです。そのあわれな武士をひきとめておき、似たような首を選ばせてやったわけです。似てないところは加工した。切りあいのあげくのように、耳を切っ
たり歯を折ったりです。その首を壺つぼのなかに入れ、焼酎しょうちゅうをそそぎこみ、ロウで封をした。當人にも少し傷あとを作り、刃こぼれのある刀を持たせ、國へ帰してやりました。くわしい武勇伝も作ってね。何回も話しているうちに、つじつまがあわなくな
ったりしないようにです。わたしの経験で知ったことですが、人間というものは、作り話でもいいから、もっともらしくはなばなしく、聞いた人が他人に伝えやすい形のものを好むようです」
「それでは藩をあざむくことに」
「現実にかたきは寺んでいるのですよ。だれが傷つくわけでもない。みな無事におさまるのです。このお禮の手紙をごらんなさい」
仙太は手紙を見せて読んだ。
「おかげさまで帰參ができ、いまは妻子とともにやすらかに座をすごしている。すぎし座が悪夢だったのか、いまが夢なのか。この夢がさめないよう祈るばかりです。祿高の一割をお宋りします。武士の収入は確実ですから、わたしの生きている限りはお宋りできましょう。同
じ境遇のあわれな人たちを助けるお役に立てて下さい。こんな內容です。差